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しなやかにしたたかに生きる宵祭八朔の日常を リアルタイムにチラリズム
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これから私の脳が思ったことをそのままつらつら書いていってみようと思います。ほんとに思ったことを書くだけなのでものすごくとりとめもない乱文になると思いますが、気にしないでやってください。
それと、私の勝手な想像ばっかりなので、おかしいと感じるものも含まれると思います。まぁでもただの一個人の意見なので別に熱く反論するような内容ではないので軽く流して下さい。
今日のみずがめ座の運勢が最悪で『自分勝手すぎて信用をなくすかもしれない』と書かれてたのでこれを見た人は信用をなくすかもしれません(笑







宗教について取り留めなく語ります。
最近某有名宗教の話をよく聞くので、さっきまでそれについて書かれたブログを読んでました。
友達の彼氏のお母様が信者さんらしくて、友達が勧誘とかお母様のやってる信仰内容とかに閉口して愚痴ってたのが主なきっかけなんですが。
『宗教』って言葉で皆さんはどんなイメージを思い浮かべるんでしょうか。私はなんか怪しいイメージを抱きます。『仏教』や『キリスト教』など、そういう昔から親しまれてるものには神聖なイメージがあるんですが、『宗教』というとなんとなく信用できない感じがするんですよね。それは多分、『宗教』=『カルト』みたいなイメージがあるからなんだと思います。
あ、『仏教』『キリスト教』『神道』っていうのは、わりと内容がはっきりしてシンプルだから怪しい感じがしないのかな。まぁ昔から公に存在していることで、あるのが普通になってるからっていう心理的な理由もあるでしょうが。
最近は宗教詐欺みたいな犯罪が目立つから『宗教』って言葉に怪しいイメージがつくんでしょうね。

そもそも宗教ってなんなんでしょう??
多分、『心の支えになるもの』なんだと思います。何かを信じ、頼ることによって「自分は独りじゃない」と感じることができ、勇気や希望をもらえる。そういう作用があるんでしょうね。きっとその『何か』っていうのは本当は神様や仏様じゃなくてもいいんでしょう。例えば、信頼できる恋人や親友がいれば、迷ったときや弱ったときにその人が支えになってくれて元気になれるじゃないですか。
でも人間っていうのは「思考」があるから疑いや不安を持つ生き物だし、「欲」があるせいで人を裏切ったりもする。「自分はこの人を好きだけどこの人は本当は私のことが嫌いで一緒にいたくないのかもしれない」みたいな不安は多分誰にでもあると思います。だから人はその不安を感じなくてもいい神様や仏様を信じるんだと思う。

じゃぁ神様・仏様っているんでしょうか??
私は寺の娘だけど、実際に仏様が存在するとは正直思ってません。いたらいいなぁとは思いますが。でも別に仏様を信じてないわけでもないです。あくまで仏様や神様は『人の心の中に存在するもの』であって、実際にはいない、というのが私の持論です。
神や仏というのは、人間の汚い部分に嫌悪を感じた人間が、その汚い部分、暴力的な欲望や醜い感情を抑制するために創ったものであり、「一切穢れた部分がなく、悪い人間に粛清を与えることのできる偉い存在」がいることで、自分が悪い行いをしないように戒められる。そういう存在。
というと私が物凄い現実的な無神論者みたいですが、違いますからね!!いたらいたで素敵なことだと思いますし。ただ妄信的に「神はいるんだ!!」とも思えないので。
うん、とにかく、神や仏はそれぞれの心の中にいるんですよ。変な言い方すると「本人がいると思えばいるし、いないと思えばいない」て感じです。その人が「神なんていない」と思えばその人の世界では神は存在しないし、「いる!!」と信じればその人の世界には存在する、みたいな??
要するに、『自分の強い部分を引き出すきっかけ』なんでしょうね。「神」という存在がいてくれると思うことで前向きな気持ちを奮うことができるんでしょう。そして多分、それが宗教の本来の目的なんだと思います。

あ、でもギリシャ神話とか、日本神話に出てくる神とかはちょっと違うと思います。あれは創世の謎に基づいたものであり、ただ単純にこの『世を創った(あるいは創世のときから存在した)凄い力を持った存在』的な感じが強い気がします。この場合、崇めたり感謝する対象という感覚の方が合ってるかも??


さて、それでは、世の宗教全てがそうなのか??というと、それは違いますよね多分。
この広い世の中、いくつの宗教があるのか私には見当もつきません。上記のようなシンプルな考えの宗教もあるでしょうし、私の脳では到底思いつかない思想の宗教もあるでしょう。
私は基本的には宗教を信仰するのは悪いことだとは思いません。信仰することでその人が救われるならそれはいいことだと思いますし、第一自分が仏教徒ですし。
ただ、世の中残念ながら「あれ?」と思う宗教もありますよね。ここで話が一番最初に戻ります。某有名宗教(以降A)って、多分日本では「あれ?」とおもう宗教の代表なんじゃないですかね。
あ、今から書くことはAを誹謗中傷するとかそういう意図のものではないです。ただ私が人から聞いたりネットで見たりして思ったことをちょっと主張するだけなので、そこのところご了承下さい。

まぁ多分知らない人は少ないんじゃないかと思われるA。私も知ってはいますが、詳しいことはあんまり知りません。知っていた知識としては、元はある宗派(とりあえずK宗)の一つだったけど思想が過激だったため破門され、その後独自に立ち上げたK宗を基にした宗教らしい、という曖昧なもの。別に私の生活には必要ないものだったので今まで「ふーん」みたいな感じでスルーしてましたが、最近友達が微妙に関わってしまったのでちょっと情報を集めてみました。そしたらなんというか、中々興味深いものが、ね。結構ありました。
とりあえず、妄信的な方が多い印象を強く受けました。元Aの方のブログを見てみたんですが、その方はお母様がバリバリの信者で、彼女自身生まれながらのAでずっと活動をしていたけれど疑問を抱くようになり、そのストレスが原因でパニック障害になって思い切って脱会。結局母は全財産をお布施に使い果たしたにもかかわらずAの活動のため体を壊し、手術しないと生きられないほど弱ってしまったそうです。
まとめて書いたら物凄くうそ臭くなってしまいましたが、実際にブログを読んだらリアルな感じが伝わってきたので本当の話だと思います。他の記事なども調べましたが同じような被害を受けている方は多いようです。
勿論悪い人ばかりの団体なわけではなく、いい人もいるし実際にAに入って救われた方も多数いるのだと思います。けれど、そこに固執しすぎて、周りが見えなくなっている信者の方がどうやら多すぎるらしい。色々見たけど「勧誘がしつこすぎる」「S(一番偉い人)ばかりが得をして信者は損するだけ」「選挙時某党の票集めに躍起になって友達をなくす」「脱会したら嫌がらせを受ける」「話が通じない」などの意見がかなり多かった。
全てを鵜呑みにする気はありませんが『火の無い所には煙は立たない』と言うし、やっぱりそう言われるだけの何かが、Aの中にはあるということなんでしょうね。
『戦う』というのがAの口癖みたいなものらしいのですが、多分、「己と戦う」とか「辛い現実に打ち勝つ」という意味なんでしょうね。でも、きっと妄信的に信じてる人や他の宗教などに対して攻撃的な人というのは、宗教にもたれきって、Aなしでは生きていけない人なんですよね多分。それは果たして本当に戦っているんでしょうか??私はどうにも宗教に逃げているような気がしてならないんですが…違いますかねぇ。


私は今まで、どれだけのハードルを越えたのだろう。

ある人は全力疾走で駆け抜ける。
またある人は、ゆっくりゆっくり、確実にこなしていく。
つまずいて歩けなくなってしまった人の前に、ある会社のセールスマンが現れた。
「これどうですか?」
渡されたものは、君こそ人生の勝利者!幸せへの最短距離!
と書かれた栄養ドリンク。
無料で試せると聞いて、1本飲んでみる。
するとどうでしょう。
体にみなぎる生命力。何でもできてしまいそうな気持ち。
その人は何の疑いもなく、購入しました。
しかし、困った事に、この飲み物には依存性と幻覚を引き起こす作用があったのです。
そこにはないはずのハードルが見え、必死に越えようとする。
効き目が切れると、恐ろしいことが起こるかもしれない、という恐怖感。

セールスマンになれば、無料で飲み放題。
仲間を増やせば、更にお得。
その人は前を向いて歩く事を忘れてしまいました。


これは先ほど書いた元Aの方のブログに書いてあったものです。転載させていただきました。これはいい所を突いた文章ですね。きっとこういう感覚を味わった人もしくは側にいた人しかわからない苦しみがこの中に入ってるんだろうなぁと思って載せてみました。多分、私が上に書いたことと同じことが言いたいんじゃないかなぁと。


宗教があれば勿論教祖がいますよね。教祖は勿論自分が悟った(要するに考え抜いて納得した)とき、それを人に伝えますよね。何故伝えるのか??それは自分が「これは良いものだ」と思うからですよね。そして教祖はいろんな人に教えるわけです。そしてその話が素晴らしいと感じた人はその宗教に入りたくなると思います。そしてその人はまたその教えをいろんな人に語り、教祖も色んなところに行き教えを説き、その宗教は段々と信者を増やすわけですね。恐らく全ての宗教はそうやって広まると思います。
断言はできませんが、仏教やキリスト教の教祖、ブッダとかキリストとか有名な宗教の教祖って、多分本当に心から人が救われる方法を考えて、それを悟ったとき、なんの他意もなく、ただ人の幸せを思いながら教えを説いたんじゃないかと思います。教えを説いた人が本当に素晴らしい思いやりのある人だからこそ、皆も良い宗教だと認めたんじゃないかと。だから今でもこんなに根強い人気があるんじゃないかと。そう思うわけですよ。勿論私は実際にブッダとか見たことはないからそうじゃなかったかもしれませんが、でも変な人が作った宗教って、多分こんなに人気は出ませんよね。
でも、Aの一番偉い人(とりあえずS)は、どうなんでしょうか。簡単に経典の内容を変えてしまうような、他人に迷惑な勧誘をしている信者を野放しにしているような長は、まず人間としてどうなんでしょうか。というとA信者の方に殺されてしまいまうかもしれませんが。本当にみんなの幸せを祈っているんでしょうか。脱退者や違う教徒の人に対して「地獄に落ちる」だの「障害者が生まれる」だの言うらしい信者を持って、恥ずかしくはないのでしょうか。沢山のお布施はどこへ行ってるんでしょうね…。なんというか、もうこれは崇める対象がもう仏ではなくS氏になってると言っても過言ではないでしょうね。信仰するなとは言いません。それは個人の自由ですから。でも、やっぱり、「もう少し冷静になって考えてみたら??」と思います。私は、ね。


やったら長い記事になってしまいましたね…。
文字多くて多分凄く読みにくくなってると思いますが、意図的にやってます。宗教関係って恐い場合があるからね。用心用心。
何度も言いますが、これは宵祭の偏見とかも混じった勝手な考えなので、軽く流して下さい。変なところがあっても反省しません。まぁ、とりあえず皆さん、世の中色んなことがありますが、なるべく賢明に生きていきましょう。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
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プロフィール
HN:
宵祭八朔(ヨイマツリハッサク)
年齢:
38
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性別:
女性
誕生日:
1987/01/23
職業:
役者を目指す乙女(乙女まで職業)
趣味:
絵描き・歌・宝塚、舞台鑑賞
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